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音の鳴るオブジェ

音の鳴るオブジェ

「高さは35cmくらいかな。9本の金属が揺れてぶつかるときれいな音がします」。(撮影:織田 憲嗣)

イタリア出身の彫刻家ハリー・ベルトイアの作品をスケールダウンしたオブジェ。ベルトイアの母校アメリカのクランブルック美術アカデミーに原寸作品があります。オブジェは同校で講演した人に記念品として贈られるもので、これはノルインターナショナルジャパンの社長だった井筒明夫さんがお持ちでした。井筒さんがご自宅を売却することになり、家にある家具や彫刻作品を寄贈したいと声をかけてくれたんです。お伺いして、いろいろなものをいただいた最後に、「これも…」と言ったら「どうぞどうぞ」と快く譲ってくださいました。本当を言うと、以前おじゃましたときから気になっていたものだったのです。

札幌の家では、私がよく座るフィン・ユールの椅子の斜め前に置いています。以前この連載で紹介した「お尻」のすぐ横です。ベルトイアは「ダイヤモンドチェア」のデザイナーとして有名ですが、彼はチャールズ&レイ・イームズのオフィスで働いていました。当時はまだ彫刻だけでは食べられなかったのです。1950年代、世界中のデザイナーが椅子のシート部を三次曲面でつくろうと挑戦を続けていました。ベルトイアは金属の扱いに長けていたので、イームズのプラスチック製の椅子を発展させ、スチールワイヤーの溶接でなめらかな曲面を実現した。それがダイヤモンドチェアです。ただ、そのアイデアを今度はイームズが応用しワイヤーの椅子を自分の作品として発表してしまったことで彼らは対立。ベルトイアはイームズから離れることになります。ところでワイヤーの座ですが、30分も座っていたらお尻に格子状の跡が残るのは想像がつきますよね。イームズはそれを解決するため背と座をパッドで覆い、その姿から「ビキニ」と名付けたのでした。

「ビキニ」と呼ばれるイームズの椅子をイラストで説明する織田先生。

ベルトイアについては、ひとつエピソードがあってね。井筒さんの会社は丸の内の国際ビルの1階にあったんですが、ショールームにベルトイアの金属彫刻がいくつか置かれていました。繁茂する樹木のようなものや、珊瑚のような形のものもありました。その後事情があってショールームは閉鎖されたのですが、撤収作業が終わってみるとそれらがなくなっていた。当時のスタッフによると、「誰もそんなに大事なものだと知らなくて」おそらく捨ててしまったんだろうというのです。もちろん処分する業者も気づかず、金属ゴミに…。価値観や知識が備わっていないと、こうしたことが起きてしまいます。そうそう、建築家のフィン・ユールにも逸話がありますよ。彼がSAS(スカンジナビア航空)の機内デザインやオフィスの設計を担当していたとき、世界30カ所以上にあるチケットオフィスに、当時フィン・ユール自身が高く評価していたスイス出身のイタリア系彫刻家アルベルト・ジャコメッティの作品を置くことを提案したのですが、幹部が予算を理由に断りました。ジャコメッティは現在1作品数億円。もしもあのとき提案通りにしていたら、今頃はものすごい資産になっていたでしょう。

(2026/06/19・談)

【取材を終えて】

「旭川デザインウィーク」の対談のため、東川に滞在していた織田先生をつかまえてのインタビューでした。対談のお相手は「ピッカピカの一年生」「セブンイレブンいい気分」で知られるクリエイティブディレクター杉山恒太郎さん。織田先生も高島屋時代に広告の世界で活躍され、そして杉山さんも実は椅子好き、と蓋を開ければ共通点だらけのおふたりでした。杉山さんは私にとっても駆け出しの頃からの憧れの存在。こんな贅沢な対談を最前列で聞かせていただき、幸せでした。

──── コピーライター 西川 佳乃

「僕も東川のデザインミュージアム構想に入れ込みそう(笑)。あと50年生きられるなら移住したい」と話す杉山さんと、織田先生。

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