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お尻のメモホルダー

お尻のメモホルダー

「この、ちょっとひねっているところがきれい」。角の溝にメモや写真を立てられる。(撮影:織田 憲嗣)

建築家の宮脇檀さんが亡くなった1年後、財産を管理する方から「遺言に従い遺品を寄贈したい」と連絡がありました。承諾すると、届いたのはなんとダンボール70箱。建築に関する書籍や雑誌は言うに及ばず、世界中を旅行した写真(しかもポジフィルム)だけでも幅90×高さ180㎝のキャビネットいっぱいになる量です。デスクまわりの文房具、筆洗から短くなった鉛筆まで入っており、この真鍮のメモホルダー兼文鎮はそんな荷物の中に混じっていました。「penthouse」の刻印があるので、おそらくアメリカの男性誌が関係したものなのでしょう。1970年代のものと推測します。マリリン・モンローが大好きで、B全ポスターや記念切手まで持っていた宮脇さんらしい遺品。ご自身も大変女性にモテた、かっこいい人でした。

私たちが出会ったのは、1990年に初めて開催された「国際家具デザインフェア旭川」(現在は「国際家具デザインコンペティション旭川」として継続)です。宮脇さんは、フェアの中の家具コンペの審査委員長。しかし初対面のときすでに宮脇さんは私を知っていました。なぜなら、宮脇さんは当時椅子をコレクションしていて、何かの雑誌に「家の端から端まで椅子を並べてその上を歩けるだけの数を持っている」と自慢していたのに、どうもその上をいく人間がいる(私のこと)とわかって、「椅子を集める楽しみを奪った男」と考えていたようなのです(笑)。実際、その後宮脇さんの講演会に行ったら、壇上から私を見つけ「にっくき奴がここにいます」と会場を笑わせたこともあります。

私には、憧れる人が3人います。作家アーネスト・ヘミングウェイと、「風の男」白洲次郎。男ならああいう生き方がしたいなぁと思います。そういえば昔、白洲正子さんと私で日本の民家を巡って本を編む企画があったんですよ。正子さんがご高齢で難しいとのことで実現しませんでしたが。そして最後のひとりが宮脇さんです。椅子をきっかけに、憧れの人と親しくお付き合いできたことは幸せでしたね。東神楽の家を建てる前に住んでいた、旭川市内のマンションにも来てくれました。娘さんからの還暦祝いだと言って赤いマフラーを巻いて颯爽と。当時の私の愛車ブガッティでドライブしたのを思い出します。私が釣ったヤマベを送ったり、お付き合いは続いて……そうだ、「山頭火」でラーメンを食べずにしゃべりすぎ、店主にうるさいと叱られたこともあったなぁ(笑)。

このメモホルダーは私も気に入っていて、札幌のマンションのリビングに飾っています。フィン・ユールの椅子の横に、いつも見えるようにね(笑)。

(2026/04/28・談)

【取材を終えて】

札幌に引っ越す直前の織田先生を訪ねた、「最後の織田邸ツアー」(2025年9月)以来となった今回の訪問です。晴れても肌寒い北海道の4月末、次のオーナーへ引き渡すため、織田先生は札幌から戻って長期滞在中。東川町の赤れんが倉庫へ収蔵するものとここに残すものを分け、不用品を処分するため町職員が何人も駆け付けての作業中でした。

美しいもので埋め尽くされていた空間は、ブロックの壁と木の床があらわになって、一層広く感じました。そんな中、残っていたソファとテーブルで取材をしたのですが、火の気がなく先生も私も厚着!床にはダンボールやビニール袋もあり臨場感満載です(笑)。

──── 聞き手・コピーライター 西川 佳乃

写真(上)のソファとテーブルについて織田先生より

エリック・グンナール・アスプルンドがサマーハウスのためにデザインしたソファとテーブル。オリジナルのテーブルは天板が石で、アスプルンドの別荘にあります。今から25年くらい前、東京のヤマギワ五番町ビルで確か「北欧デザインの系譜展」という催しがありました。その展覧会のために、遺族の了解を得て宮本茂紀さんが製作したのがガラス天板のこちらです。織田コレクションにはソファと同じデザインの1人掛けアームチェアもあり、それは展覧会終了後にヤマギワの小長谷会長が寄贈してくれたものです。

トラックが来て、東川町の赤れんが倉庫にコレクションを運び出すところでした。

「人が住まなくなると、家はダメなものですね」と言いながら、残していく鉢植えを手入れする織田先生。

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