第11話

ものを贈ることは、気持ちを贈ること。
多くのことを教えられた、ある贈り物。

ものを贈ることは、気持ちを贈ること。多くのことを教えられた、ある贈り物。

アクセル・サルト
オブジェ(推定1940年代)

アクセル・サルトはデンマークを代表する芸術家。ロイヤルコペンハーゲン社に長く在籍し、陶芸とグラフィックデザイン、そして版画やテキスタイルにも幅を広げ活躍した。織田コレクションには約20点が所蔵されており、この小さな器はその最新のコレクションとなる。

後にも先にもない、心のこもった贈り物。
何よりその贈り方に感動して。

その荷物が届いたのは、つい先週のことです。送り主はその少し前にご自宅に招かれ食事をご馳走になった、画家で会社経営者のTさん。開けてみると、一通の手紙とともにTさんが描いたわが家の庭の絵と、このオブジェが入っていました。それはどちらも一見して別注とわかる桐の箱に収められていました。オブジェの箱は八角形で、本体と蓋の木目がきれいに繋がりそれ自体美しいものでした。オブジェは私の好きな陶芸家アクセル・サルトの作品で、直径65mm×高さ50mmくらいの小さな器。見た瞬間「これは大事にしなくては」と思ったほどの美しさで、私の宝物になりました。絵の方は、いつの間に撮っていたのか──以前自宅にTさんが来てくれたときに撮影した風景を、自身で描いてくれたもののようです。それだけでも驚きましたが、絵は美しく額装されて桐の箱にぴったりと収まり、さらに丹後ちりめんの風呂敷に包まれていたのです。手紙には、Tさん宅での食事会の場面が、庭の絵とはまた違ったタッチで描かれ、私の訪問への御礼が綴られていました。ものだけでなくその贈り方にも私への気持ちが表れているようで、本当に感動しました。

この年齢になって改めて、人にものを贈ることの原点を見た思いです。ものを贈ることは、相手への気持ちを贈ることなんですね。一方の私はといえば、Tさんへの御礼のメロンやお米には手紙も添えずお店から直送です(笑)。そんな自分が恥ずかしくなりました。

出会いは、代官山でのセミナー。
Tさんは最前列で聴いてくれていた。

一昨年デンマーク大使館の依頼で、東京・代官山の大使公邸を会場にフィン・ユールのセミナーを行いました。そのとき、小学生くらいのお子さんを連れた男性が最前列に座っていたんです。Tシャツ、短パンの軽装がかえって印象に残りました。大使館のスタッフから、この近くに店内をデンマークの家具と調度品で統一したすごいカフェがあると聞いていたのですが、そのときなぜか「この人がそこのオーナーなのでは…」と直感したのです。

その後、私はひとりでそのカフェに行きました。お店に入ると、聞いていた通り広い空間に1930年頃つくられたデンマークのヴィンテージ家具が並び、照明も名作揃いです。テーブル席にはコーア・クリントのアームチェア、壁にはモーエンス・コッホのキャビネットが何台も並び、カイ・ボイスンのおもちゃが飾られ…と、1点1点ミュージアムアイテムクラスのものばかり。それをお客さんがふつうに使っているのです。「なんてもったいない!」と思いました(笑)。だってカフェですから、うっかりコーヒーをこぼしたり、取り落として割ることだってあるでしょう?こちらの方がハラハラしてしまいます。そして私はお店の人に、ぜひオーナーと会って話がしたいと頼みました。オーナーは、間もなくバイクに乗って颯爽と現れました。このときもTシャツ、短パン姿。「セミナーに来てくださっていましたね」と言ったら、笑って「はい」。それがTさんとの初めての会話でした。

そのまま私たちは、少しの間お茶を飲みながら話をしました。Tさんは私の著書「デンマークの椅子」(光琳社出版)で私を知っていて、このセミナーに参加してくれたのでした。その日は「また東京へ来たら寄ります」と言って別れ、翌年Tさんがわが家に来るという形で再会することになります。

2022年10月デンマーク大使公邸で行われたフィン・ユールのセミナー「椅子のお話会」。

一冊の本から生まれた、人との縁。
そのひとつが「ノイジー・ブラザーズ」。

私が北海道東川町で定期的に開いていた勉強会「椅子のお話会」と「デザインスクール」には、毎回わざわざ東京や関西、東北からやって来る賑やかな女性たちがいました。インテリアコーディネーターを中心としたグループで、私は感謝の気持ちを込めて「ノイジー・シスターズ」と名付け歓迎していました。そしてその男性版ともいえるグループ「ノイジー・ブラザーズ」も存在しています(笑)。これがまた強烈な男性たちで、私が勝手に長男と呼んでいるのは、東京・銀座でヴィンテージショップを経営するKさん。元は骨董商だったこの方も、Tさんと同じく「デンマークの椅子」を見てヴィンテージに目覚め、お店を現在のように変えました。私も20年ほど前からのお付き合いです。「ノイジー・ブラザーズ」は、そこのお客同士が繋がって時折集まっては、デンマークのディーラーから仕入れた情報やオークションの話題で盛り上がっているのです。そして私が展覧会の打ち合わせなんかで東京へ行くと聞きつけるや、食事会の場を設けて私の予定を押さえてくるのです(笑)。会場に行くと、遠方から駆け付けた人も含めて10人以上も集まっています。ありがたいやら忙しいやらです。

2023年のある日、その“長男”が北海道東神楽町の私の家を訪問したいと連絡してきました。総勢8人。デンマークのディーラーで、ドイツとパリにも「ダンスク・ムーブル・クンスト[DMK]」というお店を持っているオーレ・ホストボー夫妻をはじめ、不動産会社の経営者、カイ・ボイスンに関して私より詳しいコレクター……、そしてその中にTさんがいました。「どうしてTさんが?」と思ったら、Tさんは長男Kさんのとても親しいお客だったのです。これで得心がいきました。あのカフェの家具・調度はKさんの手引きだったに違いありません。そしてその来訪時に、Tさんは窓からうちの庭の写真を撮って帰られた。それを描いてくれたのが今回贈られた絵というわけです。

1997年に出版された「デンマークの椅子」。その後別な出版社からもリメイク版が発売された。

17年かけて編んだ「デンマークの椅子」が、
デンマークデザイン再注目のきっかけに。

これらの繋がりはすべて、一冊の本が導いたものです。今でもセミナーなどの際にこの本を持ってサインを求める人がおられ、とてもうれしく思っています。デンマークを研究対象にしたことによって、本当にいろいろな人との輪ができました。サルトの孫で、デンマークでデザイナーとして活躍するキャスパー・サルトがあるとき私に「今再びデンマークデザインが脚光を浴びているのは、織田さんの本がきっかけです。デンマーク人はみんなあなたに感謝している」と言ってくれました。何年経っても私を力付けてくれる、忘れられない言葉です。

「デンマークの椅子」は今から約40年前に取材を始め、当初5年で仕上げるつもりでした。出版する以上は質的な基準を高く設定し、デンマーク家具を学びたい人のバイブルになるようなものを目指しました。掲載する作品は320点、価格は5千円と決めました。学生にも買える本にしたかったからです。出版社に相談したところ、どう頑張ってもその値段ではつくれないといいます。そこで作品の数を170点に減らし、カラーページは16ページのみにして、やっと折り合いがついたのです。あの本は出版社のみならず、旭川家具の関係者や大学など本当に多くの人の協力で実現しました。巻末には全員の名前を入れてもらい、せめてものお礼の気持ちとしました。

私のコレクションを「すごい財産」という人はたくさんいますが、ものは所詮ものです。本当の財産とはこうした人との繋がりなのだと、今は心から思います。それを象徴するようなTさんからの贈り物は、この本を苦労して編んだ自分への、まさに最大のプレゼントになりました。

2024/10/29 せんとぴゅあ(東川)にて
聞き手/西川 佳乃

インタビューを終えて

東川の「椅子のお話会」や「デザインスクール」には、私も毎回楽しみに出掛けていました。「ノイジー・シスターズ」の皆さんとは徐々に顔見知りになりましたが、「ノイジー・ブラザーズ」まであったとは(笑)。そういえば先生が以前「東京に行くと僕を放っておかない人たちがいて…」と言っておられたのがそうだったのでしょうか(絶対そう)。ところで、ものの贈り方の話を聞いて思い出しました。先生がまだ大阪から旭川に通っていた頃ですから、30年以上も前のこと。宿泊されているホテルに先生の好物とうきび(とうもろこし)を届けたことがありました。外出中だったので茹でたてが冷めないよう発泡スチロールに入れてフロントに預けました。夜になって先生から電話があり、「すぐにいただきました。甘いですね!お砂糖でゆがいたんですか?」と本気で聞きます。「塩茹でですよ」と言ったらとても驚いておられた。あの贈り方も、思えばかなり雑(汗)。でも先生があんなに喜んでいたので、よしとさせてもらいます。

コピーライター 西川 佳乃(にしかわ かの)
東京、札幌のデザイン事務所勤務を経て2001年から旭川でフリーランス。現在まで旭川家具をはじめ地元の企業や団体の広告制作に携わる。織田氏とは仕事を通じて約30年来の縁。

今回は事務所の窓辺での取材でした。外は紅葉。もうすぐ雪の季節がやって来ます。

映像作品

Life at Oda’s Residence — 織田邸の暮らし

読みもの

織田憲嗣氏に聞く思い出のコレクション12