第3話:デンマークのオークションで、「落札予想価格の10倍まで競って」という指示を、代理人が忘れてヒートアップ───。

フィン・ユール
チーフティンチェア(1949年)
フィン・ユールの代表作であるこの歴史的名作椅子は、自宅リビングの暖炉脇で使うためにデザインされた。1949年春、午前10時頃からデザインを始め夜中の2~3時にはフォルムもディテールもイメージ通りに完成していたという。織田氏曰く「これほど堂々とし、威厳と知性、品格を感じる椅子はほかにない」。チーフティンは「酋長・族長」の意味。織田コレクションにはメーカー違いで4脚が所蔵されている。

 

情報と椅子の収集のため、
デンマークで日本人駐在員を雇う。

1984年から5年間ほど、デンマーク在住の日本人男性に報酬を払って、椅子に関するさまざまな情報を集めてもらっていました。彼は日本人観光客のガイドなどをしており、家具の知識もある程度持っていました。仕事は、まずポリチケン紙など地元新聞からインテリアや家具のニュースを切り抜き、翻訳して私設研究室チェアーズに送ること。デザイナーに聞きたいことがある場合などに、僕の代わりに訪ねて取材をすること。またウェグナーやフィン・ユール、グレーテ・ヤルクやベアント・ピーターセンの取材には通訳として同行してもらいました。

そしていちばん重要な仕事が、オークションへの参加です。オークションの開催情報が入ると、内覧会の初日に会場へ行って出品作を撮影し、プリントを航空速達便で送ってもらいます。僕は作品を選び、エスティメイト(落札予想価格)を見て「いくらまで」と書き込んでまた航空速達便で送り返します。今のようにインターネットがありませんから、何にでも手間と時間がかかりました。そしてオークション当日は、彼が代理で参加するのです。

 

あるオークションに、
チーフティンチェアが出品された!

高島屋に入社して3、4年目の頃、雑誌で見て大きな衝撃を受けたのが「チーフティンチェア」でした。「なんて魅力的な椅子だろう」。いつか必ず手に入れようと思いました。この椅子はニールス・ヴォッダー工房で78脚、イヴァン・シュレクター工房で10脚(刻印付き)製造され、ソーレン・ホーンの弟子ニールス・ロート・アナセンの工房では1980年代から復刻生産、現在はハンセン&ソーレンセンが経営するワンコレクション社で製造・販売されています。

最初のニールス・ヴォッダー工房製は、世界のデンマーク大使館や美術館に所蔵されておりめったに市場には出回らないのですが、1986年のある日、デンマークのオークションに出品されることがわかりました。何年間もこの機会を待っていた僕は、「落札予想価格の10倍まで競って」と彼に指示しました。会場では競争相手が何人もいて、どんどん値段が競り上がっていきます。脱落していく競争相手。最後はひとり残った相手と彼との一騎打ちです。彼は雰囲気に飲まれたのかヒートアップしてしまい、なんと指示を忘れて入札を重ね、とうとう落札してしまいました。落札額は僕の予算を遥かにオーバーしていました。

 

「高い買い物」には、
後悔させない価値があった。

事情を聞いて、僕はずいぶん高い買い物になってしまったと慌てましたが、同時に「落札できたんだから、よしとしよう」と思い直し、すぐに三井銀行でローンを組んで送金しました。この話には後日談があります。オークションの翌年1987年にフィン・ユールさんとお会いしたのですが、そのときこう言われたのです。「君が前から探していたチーフティンチェアね、あれ去年のオークションに出てすごい値段になっていたよ」。彼は僕が競り落としたことを知らないようでした。「ヴィトラデザインミュージアムから問い合わせがあってね、そのオークションで競ったが落札できなかったから、譲ってくれないかと言うんだよ」。なんと、あのときの一騎討ちの相手はヴィトラだったのです。「結局ヴィトラはニューヨークでチーク材のを見つけて、そのときの落札価格と同額くらいで購入したらしいよ」。

あとで知ったことが、もうひとつありました。ニールス・ヴォッダー工房製の78脚のうち、ブラジリアンローズウッドでつくられたのは5脚だけで、あとはチークだったことです。その5脚は希少価値が高まり、知人の話では13、4年前にロンドンのフィリップスのオークションで出品されたとき、8千万円の値がついたといいます。僕が落札したのはまさにそのローズウッド仕様。そういえばパリのオークションでは、フィン・ユールさんが一度買い取った「グラスホッパーチェア」のプロトタイプ(2脚のみ試作された)が人を通じてオークションに登場し、約4億円で落札されたと聞きますし、そんな世界になっているんですね。やはり僕のコレクションは、誰も見向きもしないあの時代だったからこそできたことなんです。とはいっても、この落札によるローンは多額で、また働き詰めの毎日が続くことになりましたが。

 

閉鎖する工房から、
救い出したものは数知れず。

駐在員の彼にもうひとつ頼んでいたことがあります。当時次々に閉鎖していく家具工房へ行き、重要な資料となる製品やパーツが残っていないか、情報を集めることです。クリステンセン&ラーセンが工房を閉じるときも、内部の写真を撮って送ってもらいました。何度も言いますが、写メではありません。フィルム写真をプリントしたものが封筒に入ってエアメールで届くのです(笑)。写真の中に、椅子のフレームらしきパーツが部屋の片隅に掛かっているのが見えました。もしや…と文献を探し、イブ・コフォード・ラーセンが1949年に発表したイージーチェアのプロトタイプ(試作品)だということを突き止めました。彼に指示をして、それを組み立てて完成品にしたものを購入。現在自宅で使用していますが、世界に現存する唯一の椅子です。

A.J.イヴァーセンは、ブラジリアンローズウッドをメイン材とする名門中の名門工房です。アームチェアで80万円という高級家具を製造し、ヨーロッパの貴族相手に商売をしていました。そこが廃業を決めてサヨナラセールをすると聞き、僕はすぐ彼に「1種類1点ずつ押さえて」と指示。彼から26脚ほど売約したと報告を受け、また三井銀行でローンを組みました。こうして救出した資料は数多くあります。

 

最近やって来た、
瀕死のチーフティン。

今年の夏のことです。お付き合いのある洋書専門店のKさんから、「持っているチーフティンチェアを織田さんに買ってほしいという人がいる」と連絡がありました。僕はすぐに「座裏に革が張られていますか?」と尋ねました。張られていれば、それは世界に10脚しかない希少なものだからです。「張られています」との返事。それは、PPモブラーのアイナ・ペデルセンが木部を製作し、椅子張り職人のイヴァン・シュレクターが革を張って販売した幻のチーフティンチェアです。「ただ…」とKさんは言い淀みました。聞けば、持ち主のオランダ人彫刻家がお金のために材木商に売ったもので、コンディションが著しく悪いといいます。一瞬迷いましたが、資料として残す価値があるのははっきりしています。旭川家具の技術をもってすれば修復が可能と判断し、購入を決めました。送られてきたものは革が破れ、特徴ある後ろ脚の先端も欠損し想像以上に無惨な状態でしたが、現在、旭川のメーカーで修復作業をしているところです。

2022/11/8せんとぴゅあ(東川)にて
聞き手/西川 佳乃

 

左は1984年フィン・ユールさんを訪ねたときの一枚。そして右は来客が撮ったわが家での一枚ですが、真似たわけでもないのにあまりにそっくりな構図に驚きます。

 


 

<インタビューを終えて>

今回の取材は、談話室が学生でいっぱいだったため織田先生のデスクで行いました。先生はスマホも最近「持たされた」(先生談)くらい、ITと距離を置くスタイルを堅持しているため、デスクにもパソコンがありません。書類も手書き、原稿も手書き。細いシャープペンシルでていねいに書かれます。私も取材は決まったノートと決まったペンで手書き、iPhone録音はしません。こうして近年あまり見ることのない、アナログな取材風景が実現しました(笑)。(西川)

コピーライター 西川 佳乃(にしかわ かの)
東京、札幌のデザイン事務所勤務を経て2001年から旭川でフリーランス。現在まで旭川家具をはじめ地元の企業や団体の広告制作に携わる。織田氏とは仕事を通じて約30年来の縁。