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第7話

「わが国の椅子を再評価する日本人がいる」
デンマーク国内での報道が繋いだ、老夫婦との縁。

「わが国の椅子を再評価する日本人がいる」 デンマーク国内での報道が繋いだ、老夫婦との縁。

ハンス・J・ウェグナー
ハンモックチェア(1967年)

ウェグナーが発表した7つのシェーズロングのひとつで、その名の通りネット状のロープで体を受け止める構造である。ロープは「フープチェア」(第2話で紹介)と同様、結び目をつくらない金属クリップで編まれており、とても寝心地がよい。木部の素材は当時オークであったが、現在PPモブラー社ではアッシュ材で生産されている。

盛んに椅子を集める中で、
絶対に残さなければと思っていた作品。

1980年代、どんどん椅子がふえてウェグナー作品だけで20~30脚集まった頃でしょうか。ウェグナーさんがシェーズロングをそれほど多くデザインしていないこともあり、7種類はすべて揃えようと決めていたのですが、なかなか出会えなかったのが「ハンモックチェア」でした。成型合板のフレームが美しいカーブを描き、横に渡した貫は体重でネットが下がることを計算してへこませてあります。ウェグナーの椅子はどれもそうですが、これも体を横たえた瞬間スイートスポットに納まります。中でもハンモックチェアは安楽性の高い一脚で、ウェグナー邸でもテラスに面したリビングの窓辺で、羊の毛皮をのせて使われていたのを思い出します。

先日、家族の希望で「ベアチェア」を購入しました。がっしりした肘が特徴で、横向きや斜め座りなど自由な掛け方ができ、やはりどの姿勢でもしっくりと体になじみます。いつもはクッションやヘッドレストなどを使って自分に合う安楽性を求める家族も、この椅子には「何もない方がいい」と言ってそのまま使っています。

どうしても欲しいのに、
どうやっても手に入らない。

大阪でデザイン事務所を仲間と共同経営し、椅子のお金を払うために昼も夜もなく働いていた頃のこと。当時ハンモックチェアを製造していたデンマークのゲタマ社を訪ね、「研究用にぜひ一脚購入させてほしい」と頼んだことがありました。ハンモックチェアは、倉庫の奥まったところにパーツの状態で4脚分あるのが見えたのですが、その頃は雇われ社長がトップで「自分には決定権がないから」と断られてしまいます。実物を目の前にしながら入手が叶わず、がっかりして帰国。それでも諦めきれなくて、1年間手紙を出し続けましたがやはり売ってはもらえませんでした。しばらくして、名作が多く出ることで知られる大手オークション会社の「アルネ・ブルン・ラスムッセン」に、ハンモックチェアが出品されました。今度こそはと入札に参加しましたが、値は瞬く間に吊り上がり、とても手の届かない価格となって競り負けてしまうのです。

デンマーク国内に伝わった、
「わが国の椅子を再評価している日本人がいる」。

ハンモックチェアは、この4、5年後に思いがけない形で僕の元にやって来るのですが、発端となったのがおそらく、名古屋市が市制100周年記念事業として行った「世界デザイン博覧会」です。その中で僕のコレクションを使った「デンマーク180脚の椅子展」が開催されました。5日間の会期中には予想を大幅に超える来場者が詰めかけ、床に座って椅子の裏側を熱心に見ている人がいたり、お弁当持参で開館から閉館まで1日中いる人、3日連続で来館する人もいました。教師が1クラス全員を引率して見に来た高校まであり、その人気ぶりがデンマークで大きなニュースになったのです。

日本でいう朝日新聞くらいの全国紙「ポリチケン」では、椅子展の記事を全30段(見開き)で紹介。地方紙を含め各媒体合わせて14~15社が取り上げてくれました。こうした報道がデンマークの一般の人々にも僕の名前と取り組みが知られるきっかけになったことは間違いありません。日本人が、当時デンマーク人さえ見捨てていた自国の家具文化を再評価している。これが話題になって、その後ポリチケン社の1階ロビーで「フィン・ユール追悼展」の巡回展を開催するに至りました。何度も言いますが、ブレずに夢を持ち続け、努力を惜しまない。それを必ず誰かが見てくれています。

東京のデンマーク大使館から電話。
「織田さん宛にデンマークからファックスが来ています」。

前述の競り負けたオークションの4、5年後のこと、デンマーク大使館の荒谷真司さん(のちにルイス・ポールセンの社員として再会)より電話がありました。デンマークの高齢のご夫婦から、僕に椅子を買い取ってほしいとファックスが来ているというのです。転送されてきた紙面を見てびっくり、そこには「ハンモックチェアを譲りたい」と書かれているではありませんか。「大事に使ってきたものなので、オークションで知らない人に高額で売るより日本のミスターオダに買い取ってもらいたい」。そこには希望価格も書かれていました。すぐに支払える金額だったので、直ちに送金する旨を大使館から伝えてもらいました。こうして僕は、念願のハンモックチェアをついにコレクションに加えることができたのでした。

僕の研究人生に、こうした幸運が多いことはこの連載からもおわかりいただけるでしょう。コツコツ続けてきた活動が、さきほどのポリチケンによる報道のようにさまざまな形で世の中に浸透していった結果だと感謝しています。

幸運は、窮地に追い込まれるとやってくる(笑)。
今年の北欧展でもサプライズが。

2023年8月に大阪高島屋で開催された「北欧デザイン展」。会場の催事場と同じ階に、北欧のものを扱うヴィンテージショップがいくつか出店していました。その中にはこの連載に登場した「リスティ」もありました。会期前の準備は深夜まで続き、休憩のときにふらっと覗いてみると、前から探していたロイヤルコペンハーゲン「テネラ」シリーズの鳩の形をした器が見えます。僕は翌日の開店と同時にリスティに行き、25年の付き合いになるオーナーにその器と、縁付きの鏡とを取り置きしてもらいました。テネラはニルス・トーソンをリーダーに20代女性デザイナー6人が開発した人気シリーズで、ブルーの上品な絵付けが特長です。織田コレクションにもキャンドルスタンドなど50点ほどが揃っています。

サプライズはもう1軒のヴィンテージショップでの出来事です。そのお店では僕も持っていない、ウェグナーさんが駆け出しの頃デザインした珍しい椅子と、1960年代後半の作品を見つけました。このオーナーも30年来の知人で、すぐに取り置きを頼みました。「アカデミックプライスでお願いします」のひと言を添えて(笑)。するとオーナーは「十分承知しております」と答えてくれました。展覧会が終わり、自宅にファックスで見積もりが届きました。見ると、椅子の値段はなんと「?円」(内緒です)。僕の予想では2脚で70~80万はするはずのものです。僕のこれまでの研究活動を理解し、転売の意思などがないのを知っているオーナーが、これまでしんどい思いをしてやってきた僕を応援してくださったのだと思います。

2023/8/30 せんとぴゅあ(東川)にて
聞き手/西川 佳乃

インタビューを終えて

織田先生が単身北海道に移住されたのは1994年、まだ雪が残る3月28日、住まいは旭川市中心部のマンションでした。私も夫とお茶に招かれたり、東海大学の先生たちとのデザイン茶話会でおじゃましたことがあります。その引っ越しにも幸運なエピソードがひとつ。先生は大阪から4トンロングのトラックを仕立てて旭川に向かったのですが、荷物が多すぎて積み残しが出たため追加で10トン車を手配しました。旭川に着いてから、その配送料が4トン車の倍以上だとわかります。困った先生はとりあえず届いた分の荷物をほどいて資料を作家ごとに整理し始めました。するとその書類の間からパラリと封筒が…(まるでドラマ!)。中には一万円札が何枚も入っていたのです。そのお金で10トン車の分を支払うことができ、無事に引っ越しが完了しましたとさ♪困ったときに現れる織田先生の神様、私にも貸してください(笑)。

コピーライター 西川 佳乃(にしかわ かの)
東京、札幌のデザイン事務所勤務を経て2001年から旭川でフリーランス。現在まで旭川家具をはじめ地元の企業や団体の広告制作に携わる。織田氏とは仕事を通じて約30年来の縁。

織田先生所蔵の名作椅子1/5ミニチュアコレクション。せんとぴゅあⅡで常設展示中です。

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